様々な人との関わりの中、
他人がうらやましいと感じてしまう事があると思います。

人生、毎日が順風満帆という人はいません。

隣の芝生が青く見える・・・

誰もが多かれ少なかれ
他人がうらやましいと、
自分にないものに焦点を当ててしまう事があるでしょう。

そんな時皆さんはどうしますか?

そのまま落ち込み自信をなくしてしまう人、

逆にどうしたらこんな風になれるのか?

または、

私は私と割り切る・・・。

その時の状況によって様々だと思います。

隣の芝生が青く見えるとは、

自分と他人を比較し、
他人のものの方が良く見えたり、
相手をうらやむ状態です。

なぜ、

人は自分にないものに目を向け、
足りない自分の感情を外に求めてしまうのでしょうか?

自分と他人を比較するのは、
自分に自信がないという表れであり、
自分の欠点や足りない部分に意識がいっている
自分がいるということです。

そう感じている間は、

自分の人生を生きているようで、
知らないうちに
他人の判断基準が自分のものさしになっている
ということがあります。

自分の人生を誰かの基準にそって生きている
ということになりかねません。

それでは、
ずっと自分でいることに不安を抱えたままになります。

うらやましいと感じる気持ちが悪いのではありません。

それによって、
自分を高める向上心につなげる事だってできます。

大事なのは、

なぜそう感じるかの理由を知り、
そう感じている自分を受け入れ、
その理由に焦点を当てるという事です。

つまり、

不安は自分自身が生み出しているもの。

それに気づくことができれば、
今の自分の不安を満たすことができ、
安心感を得ることができるようになります。

その結果、

他人の判断基準の中ではなく、
自分自身の判断基準で自分の人生を生き、
本当に自分がやりたいこと、
求める姿になっていくことができるという事です。

欠けた部分に目がいく理由とは

では、

なぜ多くの人は欠けている部分にばかり目が行く、
意識をしてしまうのでしょうか?

人が欠けている部分、
ネガティブな部分に目がいく本当の理由は、
生き物としての本能的な感覚にあると言われています。

人は安心や安定を求めます。

だから、

不安定な状態でいることに
不安や恐れを感じます。

これは生命を維持する、
生きるために大昔から受け継がれてきた感覚です。

人が欠けた部分やネガティブな部分に目が行く理由は、
この本能にあります。

つまり、

1.欠けた部分=完全でない=不安定
という認識をする

2.不安や恐怖の原因となる可能性があるものに対し、
意識を向ける

3.危険を回避し安定を保つ

という本能が働いているということです。

身の危険を脅かすもの、

つまり、

安心を奪うかもしれない原因を先に知ることで、
自分の身を守り、
生き延びる可能性を高めている

ということです。

私たちは生まれながらに、
無意識に備わった危険を回避する本能があるため、
欠けているものに目が行く。

だから、

気づかないうちに欠点や足りないもの
に対して意識をしてしまうというわけです。

欠けたドーナツと丸いドーナツ

ここで1つ皆さんに質問です。

目の前に美味しそうなドーナツがあるとします。

しかし、

そのドーナツは誰かがかじったように、
1か所欠けています。

さて、

あなたはそのドーナツをみた時、
最初にどこに目が行きますか?

おそらく、

ドーナツの欠けた部分に目がいくのではないでしょうか。

ドーナツを人に例えると、
ドーナツの欠けている部分が、
足りないところや苦手なところ。

ドーナツの丸い部分が、
できているところや得意なところ。

実際、

人の本能ゆえに、
ドーナツの欠けている部分に目が行く人がほとんどです。

つまり、

人は、足りないところや苦手なところに
一番目がいくということです。

できているところや得意なところが
大部分を占めているにも関わらず、
ほんの一部分にとらわれ、
それが気になって仕方がないわけです。

それで外(自分以外の人)に目を向け、
ますます自分を追い込んでしまっている。

だから、

ドーナツの欠けた部分、
つまり自分の欠けている部分や
ネガティブな部分に目を向け、
そこを排除し、
安心感を得ようとするという心理が働くのです。

でも、

これを続けることで何が得られるのでしょうか?

他人と比較して行動していると、
それが本当に自分のやりたいことなのか、
他人と差をつけるためにやりたいことなのか、
わからなくなってきてしまいます。

中には、

自己の判断基準が
他人のものさしになっている人もいます。

こういう人は、
比較する対象がなくなると、
自分も失ってしまいます。

つまり、

自分の生き方を
他人にコントロールされてしまうのです。

これに気づかない限り、
常に不安を抱え、
他人の中の人生を生きることになってしまいます。

自分が自分に意識を向けない限り、
満たされることもありません。

それでは自分の人生を生きている意味がありませんよね。

自分で人生をコントロールできる事。
これが安心感を得られるもととなります。

では、

自分の意識をドーナツの丸い部分、

つまり、

自分が持っているものに向けるには
どうしたら良いのでしょうか?